なんでこのタイトルにしたかと言うと
書き足りなかった(笑)
昔から『命について考えてきた』(僕なりに)動物好きな(愛玩動物)僕なりに考えてきた。人類は『他の生命を奪って今日まで生きている』まぎれもない事実。
じゃ他の生き物(特に家畜動物、動物園の動物)を開放し食べられなくしたら
どうなる?
先ずは食べ物が無くなる、故に人間同士争いになる
勿論費用を掛けたら野生に返せるかもしれないけど、アフリカ大陸からしたらいい迷惑日本を始め世界中の動物園から外に出したら?どうなる?人は食べられる、象に家や車は破壊されるわ、当然、散々なカオスになる。
別に動物だけじゃない、草木や野菜も自由にしたら?街中ジャングルみたいになる。
人間以外の生き物を野放し、関与しなかったら害虫や感染症に苦しむでしょう
何より人類が後退してくでしょうね。
つまり人類の脅威が無いから愛玩動物や、動物園やらで生態を学び知る事が出来ている
もっと身近な所で犬や猫が大好きな人が捨て犬、捨て猫が殺処分されるのが嫌だから
救えるなら救いたい(きっと本望でしょう)でも毎回大量に殺処分される犬や猫がいる。勿論保護センターの場所は全国にあるけど全ての命は救えない。
個人の生活を犠牲にしてまで救うのか?それが生活の全てになったらどうやって生活してくのか?現代社会で生きてはいけないでしょう!仕事、納税食生活、住居。健康問題・・・その他沢山の課題が残るから。そう、やれる事出来る事は限られる。
大人になって成人してからこの矛盾に気が付いた。
~個人が感情的に好きだからって命を救えない、救えるとしても限界がある~
何度天空を仰いだことか?
~なんでこういう結果になったんだ?~割り切るのが最善の選択なのか?~
僕は馬が好きだから馬肉を食べない、食べたいとも思わない
その反面馬肉が好きな人も沢山いる。
~こういう矛盾がある現実・・・(一例として出しましたが)
野菜でも肉でも食べる事で健康が促進されて原始人の時代から生き延びてきた人類
現代では世界中の共通の知識となった。
神でもお釈迦様でもだれでもいい、この世界を構築してきた人智を超越した存在
が『感謝する』って事をこの人間社会のシステムの中にプログラムしたんだと感じてる。
だから小林正観さんが書いた
『お釈迦様が言いたかった極論は“感謝”だった』って答えには納得したんだ
僕らがいくら大金持ちになろうが、働かないで生活出来ても好きな女性をとっかえひっかえしようがイケメンに囲まれる毎日送ろうが~何かを食べないと生きていけない。
やはり感謝が大事なんだろう、ホントそう思う。