運命について考える

人生のなかでいい時も、悪い時も『運命』って言葉を思う人はいるでしょう

それが変えられないモノが『運命』

『運命』を運ばれてくる『命題』だと解説した人がいたな?誰の本だったか忘れたけど

運ばれてくるはイメージが付きやすいと思うけど

『命題』調べてみた。

【命題】

客観的に正しいか、正しくないかを判断できる文章の事。

 

とあった。つまり何らかの自身に起きる事象や現象に付いて正しいか悪いか判断できる

事を意味すると。それがいい意味での『運命だねぇ~』にもなるし『〇〇になったのは運命だなぁ~』と諦めや諦観に意味でも使われる

【諦観】とは仏教語で元々四方八方最善を尽くしてそれでも求めるモノが得られなかった場合諦観といったそうです、それが諦める、との意味だと。

 

自身含めて殆どの人は『未来』が分からない、超能力者でもない限り・・・     過去にも書いたけど、最初動物(馬)の命に付いて怪我について考えてく内に、他の動物、自然界人間などのどうしても避けられない事態について『問題解決』が文明の力で変えられると思っていた(きっと読んでる人も小さい頃、思った事があるかも知れない)。でも地球上の全ての存在にやはりどうしても避けられない事態がある。野生の動物番組見ていても分ると思う。野生のシマウマの群れからはぐれた子供のシマウマがライオンなどの肉食獣に襲われる場面とか・・・

 

子どもの頃みていて思った『両親』のシマウマはやりきれないだろう?なんて哀しい場面なんだ、どうにかできないのか?大人になって気づいたのは僕らは毎日、家畜を食べて生かされてる、家畜以外でもそうだ野菜やコメやら・・・このシステム、構造を止めたらどうなるか?多分日本で動物園の動物を開放しまくったら飛んでもない事が起きるのは確定する。

 

古代から生き延びてきた、他の生命を奪って生きてきたのを止めるならそれに代替する何かを摂取しないと人間は生きていけないし、日本が世界が野生の王国になるだろうし人類の発展はない。つまりどう転んでも変えられない~それが『運命』なんだと。

逆を言えば『変えられる』改良できるなら運命とは言わない。

でも変えられない事を変えようとするのは『人間のエゴ』なんだと我が身を顧みたい。

 

【追記】

今日、駅前に向かったら人が倒れていて周囲の人が声掛けして人だまりが出来ていた 警察が来て救急車を呼んでる風だった。素晴らしい光景だった。まだまだこういう人がいる限り日本は大丈夫だろう!去年は制服着た女子高生?中学生?が電車内で高齢者に席を譲る光景見たし。そう、日本人の魂はまた輝きだす!