せいちょうといい話~雑談

過剰に他人の目線を気にするわるいくせ、流石にまったく気にしなくてもいい年ごろはとうに過ぎた・・・

よく言えば他人との距離感を保とうとするし、悪く言えばぶっきらぼう、仕事場でもどこでもそうだ。最近でいえばお金のかからない趣味を模索中・・・いやもといそこまで趣味と言う趣味ではないが読書が好きで本屋にはよくいくがそこは欲との闘いの場所だ(笑)Amazonでもそうだが関心ある本を見ると~読み返したいと思うだろうか?が基準になってきたからだ。それまでは無作為に機会があれば購入していた。本屋を開くならまだしもこのままでは家中本だらけになる。奥にしまってる本の積みあがったのをみてヤバイと感じてるからだ。映画もそう。映画館に行くならまだしもレンタル屋が近所にあった時は顔出していた。

支出に対して、警戒してるかというと世界中の景気の面でかなり不安定になってるからだ。世間では『第一印象で決まる』って言う、仕事の話では特に重要だろう。でも本質は人間の中身だと思う。生き様だと思ってる。年上でも年下でも女性でも男性でも。

 

豪農の館「北方文化博物館」

〒950-0205 新潟県新潟市江南区沢海2丁目15-25
TEL.025-385-2001/FAX.025-385-3929

近江商人の心得として『売り手良し、世間良し、買い手良し』って言葉を知った時、この話を知った。

~日本の商人道を確立したと言われてる近江商人には『基金普請(ききんぶしん)』と言う言葉があります。飢饉、つまりその年の収穫が不作で近隣農家が困っていたら、普請しなさい。と言う意味。

【普請する】意味

多くの人の力を借りて土木工事や労働や建築工事をする。

 

北方文化博物館の話を読んで新潟への憧れ抱いてる。新潟っで飢饉だったか災害で訪れて、農民が困難に直結して困った時にこの家の主は宿を開放して農民を無料で止めて、そこで労働を提供した話でその当時、この名家だけは災害の損害が一つもなかった。

労働の対価としてお金を払った。その内容が家の裏庭に手で土を運び、山を作って欲しいとの事。大人から子供まで『手で運ぶ事が条件』。これで困難を凌いだし、ただお金を渡すだけでなく、労働の対価としてお金を渡して尊厳を維持させた。だから天から見てる人は、この蔵を持つ名家は存続させてあげようと、思われたのではないか?と言う話。

 

単純にすげぇな!と文字通り目を丸くした👀なるほどだから繁栄したんだと。あともう一つお金にまつわるいい話で。江戸時代には確立したそうですが、いわゆるお金持ちと言われる言葉は江戸時代では人を蔑む言葉だったそうですね。お金は持ってるけど何もしないよねという

〇お金持ち⇒お金を持ってるけどね~・・・

と言う意味での皮肉でしょうか?で現代の僕らが使うお金もちは当時の言葉で言うと

〇長者⇒他人や町の為にその資金を使う人=尊敬の対象

としてあがめられてきたそうです。現代でもその名が残ってる橋とかに使われている名はその当時に資金を出して町の復興に繁栄に一役買った名家の名前がかなり使われてます。淀橋とかですかね?パッと出てきませんが。僕も成長して、いきたいものです。