かずまの『いまここ』

Knowledge is power.知は力なり~フランシスベーコン

北野武さんの影響

 

恐れ多くも、ずっとこの人見てきたテレビでネットで映画で!

バカな話もすれば真面目な宇宙や数学や物理の話もする、天才たる所以なんでしょうね

この本も読み返してる(笑)人生であれだけ有名になってお金も稼いで何もしなくても生きていけるのに、映画を撮影したり本を出したり世界中から(特にヨーロッパかな?)評価されてる。テレビの収録終わったらお弟子さんとご飯いったりしてその後キャバクラで豪遊して帰宅してから数学問題解いたり物理の本を読んだり絵を描いてるとか?それだけ元気でいつ寝てるんだろう?と不思議に思っていた。たけしさんがテレビで言ったか?本で書いていたか忘れたが『この世は全て数学で証明できる』ってのを目にした時『まさかそんなことあるのか?』数学嫌いだった僕は懐疑的だった。この世は仮想現実社会だと世間で言われ始めて過去の映画『マトリックス』も同じ様な設定で描かれておりコンピューターの世界は数字で支配されていて・・・ふと思い出した

ビートたけしさんも同じ様な事言っていたな~

個人的な話になるが~シンクロする事が僕の人生でも増えている~

北野武さんが真面目な話をする時、心にしみる。

この人ホントスゲェ!と思う。

昭和の有名歌手美空ひばりさんの歌の歌詞にも~人生って不思議なものですね~

ってフレーズがあるがホントそう思う。虚構のテレビの世界二位て『現実』を見せてくれてるんだと思う。くらいにシビアな表現が映画の中でも多々ある。

そんな中から『新しい道徳』の中の一説のフレーズを紹介します。

 

北野武著書 新しい道徳より


北野武の「夢を叶える事」について語る

今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、
やたらとそういうことを子どもたちに強調する。
道徳の授業もそうらしい。

夢に向かって努力することが生きる喜びになる、なんて書いてある。
貧乏だった時代には、そんなこといわなかった。
「清貧」が、あの時代の道徳だったはずだ。
最近の道徳の教科書に、そんな言葉は見つからない。
清く貧しく美しくなんてのは、もう流行らないらしい。

節約とか節制なんて言葉もあまり見かけなくなった。
時代が変われば、道徳は変わるのだ。

だけど今の人類が置かれた立場を考えれば、
むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。
人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、
近頃は異常気象が当たり前になってしまった。
5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、
今じゃ誰もたいして驚かない。

東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、
東京の夜は暗くなった。

自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。
昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、
しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。
節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。

だけど、地球上で起きている問題の大半は、
人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから
起きているという事実は変わらない。
中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、
地球は保たないなんていわれている。
このままではどう考えたって文明は破綻する。

現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、
その話はいっこうに進まない。
節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、
それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。
それは誰もがわかっているはずなのに、
そういうことにはあまり真剣にならない。

節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。
清く貧しく美しくを奨励されて、みんながモノを買わなくなったら、
消費が落ち込んで、経済成長率は下がって、世の中は大変なことになる。
人間は、幸せになるために生まれてきた。
じゃんじゃん消費して、経済成長して、
みんなで豊かになろうっていう高度経済成長期の幸福論は、
バブル崩壊だの、大災害だのいろんなことがあって、
いったんは否定されたはずなのだが、今も脈々と生きている。

大志を抱け、夢を持てと子どもにいうのも、そういう文脈の話だ。
なにしろその夢の見本が、スティーブ・ジョブズ
マイケル・ジャクソンだったりするわけだから。
イチローでも、本田圭佑でもいいけれど。
とにかく成功して、金持ちになって、
いいクルマだの家だの自家用ジェットだの、
なんでも好きなモノが買えるようになるっていうのが、
要するに普通の大人が普通の子どもに教えている平均的な大志や夢の中身だ。
ミもフタもない話だけど。

石川遼が出てきたときは、子どもにゴルフを習わせる親が増えた。
今は錦織圭を目指してテニススクールに通う子どもが増えているんだろう。
夢を抱けっていうのは、前向きに生きろってことなんだろう。
夢がかなうと信じて、一所懸命に勉強したり、スポーツに打ち込めってことだ。
子どもの鼻先に夢という名のニンジンをぶら下げているわけだ。

だけど、夢を持てば、誰もがスポーツ選手になったり、
大金持ちになれるわけじゃない。
お笑いの世界にも、近頃は何を勘違いしたか、
そういう成功を求めて飛び込んでくる奴らがたくさんいる。
昔は、子どもが芸人になるなんて、親の恥だった。
俺の母親は、俺が浅草のフランス座で働き出したときは、
息子は留学してますなんて近所にいってたくらいだ。
今はもう、そんなことをいう親はいない。
芸人になって、テレビでみんなに笑われるのは、
誇るべき職業ということになったらしい。

それも、芸人が儲かるっていう話が広まったからだろう。
実際に儲かっている芸人なんて、それこそ一握りでしかないのに。
夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。
宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、
子どもに夢を持てなんていっている。
世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ。

夢に向かって頑張っていた子どもが、
挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、
夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。
「飢え」というものを体験した世代はもうほとんどいなくなった。
昔はそんなに甘くなかった。
ちゃんとした職業に就けなければ、
路頭に迷うんじゃないかって親は心配したものだし、
実際そういうことはいくらでもあった。
そういう時代には、誰も夢を持てなんていわなかった。
というより、うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。

「医者になりたいだって? 何いってんだ。
お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、
なれるわけないじゃないか」

「画家になりたい? バカヤロウ!
絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」

頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。
夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。
乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。

今なら、子どもの可能性を潰す悪い親ってことになるのだろうか。
もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、
そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。
ほんとうにやりたいことがあって頑張っている奴を否定するつもりはない。
成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、
思う存分にやればいい。
だいたいそういう人間は、
夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。
夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、
それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。

ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、
いつまで経ってもやってこないというのに。

人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。
その今を、10年後だか20年後だかの明日のために
使ってどうしようというんだろう。
昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。
夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、
大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。

夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、
生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
俺は心の底からそう思っている。

どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。
慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。
人生はそういう風にできている。

そんなことは、誰でも知っている。
だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。
頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、
有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。
そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。

だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。