○哲学と前世
人の思考は生まれた環境、両親、または兄弟や友人、親戚など身近な人間関係の影響を受けつつ前世から継承してる(と思われる)人格がミックスされて人格を形成してるんじゃないか?そう思える。
僕の場合だとこのブログ隅々まで読んでくれたなら分かると思うがメチャ簡単に言うと『哲学的だ』何となく覚えてるのはブルースリーの映画『燃えよドラゴン』の有名シーンの一つ『考えるな感じるんだ!』って言葉に影響されていた。家畜の死によって僕らが“生かされてる事実”もそうだし小学校の頃友達だった○○君が交通事故で亡くなって葬式に初めて出たのも覚えてる~漠然とだけど~生き物はあっけなく死を迎える~って
『じゃぁ人は何故死ぬの?毎日僕らが食べてる家畜はどう思うのだろう?』きっと怒ってるのか?生きたいと懇願するのか?そうなったら僕らは何を食べていけばいいのか?
人間が食料難になるのか?
じゃ、地球全体が平和にはならないじゃないか?
小学生の頃から凄い矛盾に気が付いていた。否、きっと平和だからそんな事考えるんだろう!僕らが生きるのに毎日必死な環境だったら何でも食べるはず。誰もが簡単に『地球平和』とか言うけどこれも矛盾してる『(人類にとって)の地球平和』なんだろう。毎回、家畜は意図的に大量に出産させられて大量に仲間を殺されて僕らに食べられてく。
人類の発展してくシステムが構築されてしまった。動物園の餌代だってバカにならない金額になる。ライオンにあげるお肉だって1頭あたり数十万円するそうだ。草食動物もそうだ。人間に檻で飼育されてる生き方と野生で生きる生き方とどちらがいいんだろう?時折考える。衛生面でも外敵がいない環境で病気になったり襲われる心配はない。餌は人間がくれる。僕らは地球上にいる動物を近くでに見れる学べる機会がある。
子どもの頃からそんな事考えるの事が多かったし楽しかった。歴史に名を残す偉人伝記に出てくる人は、普通の子供が考えない事考えて実行に移していたから(僕はそこまでじゃなかった)。当然他の友達には言った事はない(笑)話がかみ合わないからだ。
よく夏場に心霊番組で『前世』に関する話が出てきていた。僕の前世はなんだったんだろう?研究者だったのか?それとも主君に仕える武士とか?どんな職業に就いてる人間であれ、そうなんだろうな?と思うのは『命に対する儚さや矛盾』を抱いたまま前世を終えたんだろう?って思ってる。勿論、友達と遊んだり野球したり一般的な事をする普通の小学生だけど、でも哲学的というかそんな事、小学生が考える事じゃないからだ。
競争社会も向いてない、って自覚してる、だから大人になって『人生のレース』に強制参加してる自分が嫌だが仕方ない、食べていかないといけないし生きていかないといけない。興味があるが仮に前世の自分に(男か女か?だけど)伝えれるなら伝えたい
~全てを学び“ありがとう”って感謝する為なんだよ~とね