○なんて☝タイトルだΣ(・ω・ノ)ノ!
子供の頃動物が好きで、動物番組みては、殺されるテレビ見てはショックだった。剣道をやっていたから知っている、昔は竹刀が刀でこれで殺し合いしていた武家社会。そこから『命』とは『人生とは?』『生きる事とは?』『なぜ人間は地球上の事件は無くならない?』普通の人が“普通の価値観”に染まる過程でそんな事考えて生きてきた。勿論その考えが全てではなく思春期に好きな人もいたし、無心に成功呪文に浸かっていた。そう誰もが『一度は憧れる世界観』の合間で『命』に付いて考えさせられる。
テレビを見れば、日本では凄惨な事件や事故、世界はもっと悲惨な戦争や大事件が起きてる。誰もが幸せな人生を歩めないのは何故だ?かみさまっているなら?なんでだ?
そんな事考えていた。平和を訴える元ビートルズのジョンレノンの活動に共感していた。~あんな世界的に有名な人でも無理のか?~ってショックだったのは覚えてる。
学生終って社会で働きだすと、誰もが『同じような人生』を歩んでいる。いい悪いはともかくファッション、行く場所・・・共通の話題を求めて人生を彷徨う旅人みたいだ!
(自身にも言えるが~)心の中はやはり幼い頃に感じた事は残るもんだね!
そしてい今でも世界中で『思いださせる位世界では命が簡単に消えていく』(涙)
時折~世間の波に乗ったままの思考なら~楽だったのかな?とも思う(笑)
ひと言でいうと
~挑戦者として生きてきた~
誰がなんと言おうとも、失敗も恥ずかしい事も辛かった時も嬉しかったり楽しかった事も知識も、全てが学びだったと今なら言える。記憶という名前のサーバーに保存されてるんだ!きっと
現在は誰でも『根拠や論理』を語れる人が優遇される社会、それも必要でしょう。でも一つのファッションだと思ってる、時代によって価値観は変化するのだ。だれもがそれが普通とか当たり前!って価値観は時代によって地域によって違う。
日本では昔は『斬捨て御免』て言葉がある位、武士に庶民が農民が斬られても文句は言えなかった。当然現代では違う。更に縄文時代の頭蓋骨を調べた研究者の話だと、陥没したり穴をあけてる骨はなかったそうです。その位『価値観は違う』
もっともっと多くの事を知りたいし学びたい、体験できるならそうしたい。だからこそ目を守る為にサングラスもするし身体も鍛える。
これからどういう人生を歩んで死を迎えるか分からないけどIT業界に関与して色々
これからも学んで死を迎えたら
生んで育ててくれた両親に心から首を下げて感謝するm(__)m
『ありがとうございます、あなた達が生んで育ててくれたお陰様で僕はこの地球で日本で多くを学び多くを考え多くを体験出来ました』